1831年 天保2年
太田屋藤吉が駿河町(現 名古屋市東区東桜一丁目)にて味噌溜醸造を始める。
駿河町は名古屋城東門に位置し、名古屋と信州飯田を結ぶ飯田街道(現国道153号)の起点にあたる。
飯田街道は「塩の道」とも言われ、馬車がすれ違えるほどの当時としては大きな街道だった。
味噌溜の原料である塩と大豆を得易く、城下に商品を運びやすいことから大変繁盛し、仕込桶(30-40石)が最大で164本並んでいた。
1941年 昭和16年
名古屋味噌溜株式会社(現 キッコーナ株式会社)に合流
年間2500石の大豆需給実績(配給権)を合併譲渡
1945年 昭和20年
3月19日名古屋空襲により家屋・醸造施設等焼失
1950年 昭和25年
名古屋味噌溜(株)より独立 太田屋醸造株式会社設立(昭和26年2月18日設立登記)
守山小幡に約500坪の土地を取得
1954年 昭和29年
不動産管理を行う菱太産業株式会社設立(8月設立登記)
1965年 昭和40年頃
1800年代から名古屋で白醤油を製造していた江崎家から、製造方法の指導を受け、白醤油製造をはじめる。
1972年 昭和47年
太田屋醸造守山倉庫及び工場完成
白醤油製造専業とし、他社ブランド製品の製造を請け負う。
1997年 平成9年
白醤油の紹介やレシピ募集・公開などを行うホームページ開設
2009年 平成21年
菱太産業株式会社を存続会社として菱太産業(株)と太田屋醸造(株)を合併